占領下の日本製という意味で、終戦後1947年からサンフランシスコ講和条約が発効された1952年まで、日本からの輸出品に表記を義務付けられていた言葉から由来します。
沖縄は今でこそ南国の楽園のような場所ですが、太平洋戦争時には激しい地上戦が繰り広げられ、地形が変わるほど無差別に破壊しつくされました。そして終戦後、衣食住すべてが不足していました。
そんな過酷な状況の中でも知恵を絞り、限りある資源で様々なものを生み出しました。戦闘機の残骸を溶かして鍋を作り、大きなガスタンクをくりぬいて船を造り、配給品の小麦粉袋を帆にして漁に出ました。すべては生きるために。
私達の製品に使われる米軍放出品のテントや装備品は、元々の使用目的や使われていた環境を考えれば負の遺産とも言えます。しかし、あえてこの素材を使い日常生活に溶け込むデザインや機能を与え、かつての彼らのように、本来の目的と異なる日用品に作り変える事で”MADE IN OCCUPIED JAPAN”この言葉を平和へのメッセージに変えて伝えて行きます。